INTERVIEW

未知の宇宙飛行を身近な存在に。アートディレクターが描く宇宙事業と仲間たちの存在

大山よしたか(スペースウォーカー)

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民間の宇宙旅行といえば、先日、ZOZOTOWNの前澤友作さんがアメリカの宇宙ベンチャー企業の『民間初の月周回旅行』を契約したことで大きな話題となった。その1ヶ月半前、日本でも民間の宇宙飛行を計画している宇宙ベンチャー企業がプロジェクト発足の記者会見を行っていた。「スペースウォーカー」。CEOは1981年生まれの大山よしたかさん。電通出身のアートディレクターという異例な肩書きを持つ。なぜアートディレクターが宇宙ベンチャーを立ち上げたのか。その背景にはどのような経験や動機があったのか。大山さんに、今に至るストーリーを伺った。 [Sponsored by スペースウォーカー]


飛行機デザインから始まった、アートディレクターの人生

ーー宇宙ベンチャーのCEOが若手のアートディレクターというのがユニークですが、大山さんはどういうキャリアを歩まれてきたのでしょうか

高校生の頃に親にロンドン留学を勧められ、ロンドン芸術大学のひとつ、チェルシーとセントマーチンに留学しました。大学では写真をやっていたのですが、当時住んでいたシェアハウスにプロのデザイナーがいて、プロと学生のレベルが全然違うことに気づいたんです。だったら早くプロになりたいと、2年くらいで学校を辞めて日本に帰ってきました。

帰国後は地元名古屋に戻り、地方誌のスナップや結婚情報誌の撮影をしていました。カメラマンをしていて感じるようになったのは、デザイナーのほうが表現の幅が広いということ。だから今度はAdobe Illustratorを勉強して、デザインサイドに回りました。
ところがそのうち名古屋の暮らしが物足りなく感じて東京へ。上京してすぐ、好きな雑誌『ワールドサッカーダイジェスト』のデザイナーとして就職しました。そして22歳の頃。ある番組で、「アートディレクターはすごい稼げる」というのを見て、だったら業種も近いしアートディレクターを目指してみようかなと(笑)。転職エージェントから紹介されたのが、たき工房でした。たき工房は日本で一番大きなデザイン会社、電通と一緒に沢山仕事していたので働くことを決めました。

しばらく働いたころ、たき工房の社員になって電通へ出向する機会が巡ってきて。電通ではずっとアートディレクターになることを考えていました。アートディレクターから仕事をもらったらデザイナーだけど、クリエイティブディレクターや営業から仕事をもらったらアートディレクターになる。じゃあそうなるように動いてみようって。

ーーなるほど、アートディレクターとして仕事をするということは、「クリエイティブディレクターや営業から仕事をもらう」ということだと。自ら仕事をもらえるように働きかけていったんでしょうか。

当時、飛行機をデザインする仕事が来ていて、社内コンペになったんです。先輩のクリエイターもたくさん応募していたんですけど、最終的に僕の案が残り、飛行機をデザインできることになりました。もちろん僕だけの力ではなくて、クリエイティブディレクターと仲が良かったことや、いろんな人が制作に関わったことなど、いろんな要素があったと思います。ただ、スーパースターだと思っていた先輩アートディレクターではなく自分の案が選ばれたことに自信がつきました。初めて飛行機のデザインを作ったことにより、「飛行機の人」になれたことも大きかった。たくさんメディアにも出られて。それが2526歳の頃でした。

ーー飛行機に関わるコンペに応募したのは、なにか理由や目的があったのでしょうか。

いえ、偶然です。でもやっていることって全部繋がりますよね。新しく航空会社ができるということで、もともとそこには2機しかなかったんですよ。カラフルに色を変えて5機くらいになるといいなって思ってデザインしたんです。それが中の人のテンションにもつながるし、乗る人も嬉しくなるし。今は12機まで増えたようですが、変わらず愛されていて嬉しいです。

ーーその後、電通に転籍されていますね。

何よりもチャンスがある場所に行きたかったので、考えた結果、電通に移ることにしました。父が病気になり近くにいたかったということもあって、中部支社勤務へ。当時の中部支社は、カンヌライオンズなどで賞をたくさん取っていて、いい空気で楽しかったです。

ーー電通ではどのようなアートディレクションをされてきましたか?

価格訴求でしか売れなくなったものをリブランディングすることが得意でした。商品にしっかりとストーリーを付けて素敵なビジュアルを添えると、いろんな人がその会社を好きになるんです。調査してみると2割くらい好感度が上がっていたりして。そこから突然、町おこしに目覚めました。瀬戸内のブランドを作ったり、地元愛知県の町おこしをしたりして。

ーー人に愛されるブランディングが、町おこしにフィットしたんですね。

「普通の町」を「みんな」が好きになるって結構難しいんです。でも、緑と暮らしているよねとか、いい温泉あるよって、表現して打ち出せる人がいたら、そこに住む人も自信になって幸せになれる気がして。その部分をすごく気にしながら仕事をしています。そして、続けていると、必ずその町が好きって思う人が増えるんです。賛同したカメラマンさんが協力してくれたりする繋がりも嬉しいですし。僕は結局、人が好きなんですよね。

ーー今の宇宙ベンチャーにつながるきっかけは、飛行機のお仕事でしょうか。

そうですね。「飛行機の人」になったことで、それ以降ほかにも航空宇宙産業の仕事をさせていただいたり、さらにそのつながりでとある宇宙ベンチャーの仕事を少し手伝ったりして。そこで「宇宙って楽しそうだな」と羨ましく思ったのがひとつです。

もうひとつのきっかけは、子どもの授業参観でした。「お父さんは何の仕事をしているの?」という質問があって、子どもが一番に手を挙げて「自動販売機を作っています!」と自信満々に言うんですよ。びっくりしたけど、たしかに、その時は飲料メーカーの担当で商品開発もしていたので、自動販売機の広告を見て「あれはお父さんが作ったんだよ」と伝えたことがあったのだと思います。実際には、色んなメーカーの飲料を作っていたし、自動販売機を作っているだけではありませんでした。そこで、消費されるものや他人のブランドを作るより、自分で大きなものブランドをつくろうと思うようになりました。

使命感を静かに胸に灯し、2027年に有人宇宙飛行を計画

ーー実際に宇宙業界へと足を踏み入れることになった、取っ掛かりはどこだったのでしょうか。

僕、色んな遊びを本気でやっているんです。陶芸家9人と岐阜県瑞浪市で48時間かけて粘土オブジェを作る大会に出た時、同じチームにいた女の子が偶然、弊社の米本浩一(九州工業大学教授)の娘さんだったんです。「父がロケットを作っている」。それが始まりでした。米本に会うことになり、ロケットを見たのですが、第一印象はまだ大学の実験の延長で、商業化するとは思えなかったんです。ただ、ここに僕がブランドを足してあげて、資金調達が叶えば、日本のためになるんじゃないかなって希望を感じました。

ーーロケットの技術的な実現性や技術力をほかと比較するのは、素人には難しいことのように思います。米本さんの技術に可能性を見出した理由をお聞かせください。

そもそも日本でロケットを作っている会社は少なくて、堀江貴文さんがファウンダーで北海道に拠点をおくインターステラテクノロジズ、同じく北海道のカムイスペースワークス、名古屋のPDエアロスペースくらいなんですね。

僕がいいなと思ったのは、彼らが1970年代からずっとスペースシャトルの研究をしてきたという歴史や経験です。日本版スペースシャトルであるHOPE-Xの元開発チームだった方々は、その後それぞれ別の環境で活躍されていましたが、年齢やリタイアとともに技術を継承しなければという想いが強くなっていました。そこで、それぞれの会社で宇宙開発を続けてきたトップランナーと僕らで、スペースウォーカーを立ち上げました。今の時代・タイミングだからこそ実現できる可能性を感じたんです。

ーー若手のメンバーたちは経営の立場に入り、製造や開発はリタイアされた人が中心になって動いている。

そうですね、若手は3人しかいないので、基本は経営や企業との話などはみんなでしていて、お金周りはプロに任せています。ブランディングは僕の仕事ですね。企業や町おこしでも同じ感覚があったのですが、ブランディングが入ると、形ないものもきちんと見える。宇宙という不安定な印象のあるテーマだからこそ、着実に一歩一歩進んでいることを示すというのは大事だと思っています。ロゴひとつとっても、日本を代表する宇宙ベンチャーへの志を表現するべく、ど真ん中に見えるように丁寧に作りました。

ーープロジェクトのキャッチコピーは、「宇宙が、みんなのものになる」。宇宙事業でほかにBtoCのマーケティング例があまりないので、期待感と夢が感じられますね。

宇宙って行けたとしても、一部の限られたお金持ちだけというイメージがありますよね。でも僕たちが頑張れば、本当にみんなが宇宙に行けると思っていて。その技術を日本中の会社と作っています。「100年前に飛行機ができた。その時に乗りたいと言う人はいなかった。しかし続けることによって安全な乗り物になり、それがインフラになった」と聞いたことがあって。誰かがやらないといけないことなら、僕らがやらないといけないと思ったんです。

ーーそんな使命感を胸に、計画では実際に人が宇宙に行けるのは2027年。

はい。有人のスペースプレーンが高度100km以上を飛行予定です。「カーマライン」と言って、地球の大気圏を超える距離ですね。科学実験として無重力に近い地点に無人のサブオービタルを飛ばせるのは3年後です。

ーー宇宙飛行は、高度100kmでどれくらい滞在できるのでしょうか?

今は5分を考えています。まずは丸い地球を見て、無重力を体験してもらいたい。

その先の未来には、二地点間移動も考えています。

東京から宇宙を経由してハワイに行けるなど、移動時間も短くして地球上の各地の距離もより近づけられればと思います。

 

世代を超えた付き合いには、潔く人に頼り、専門は譲らないこと

ーーこのチームができるまでについて教えてください。

アートディレクターとして多くの業種の方とさまざまな仕事をしてきましたが、視野が広がれば広がるほど、僕がこの宇宙事業に関わることは絶対にいいと確信しています。一方で、自分にできること・できないことを知り、自分でできないことについてはできる人をチームに入れていくことも大事だと考えています。まずは資本政策と事業設計が大切だと思い、会計士とファンドマネージャーを誘いました。うちの会社は色んな人が集まっていて面白いですよ。国際宇宙ステーション日本のユニット「きぼう」の運営会社の元社長とかもいますし(笑)。

ーー若手チームとベテランチーム、異なる世代間のコミュニケーションは?

個性的な方が多いですが普通ですよ。専門性が違うからお互いに頼り合えています。デザインのことであれば、僕の意見を通しますし(笑)。

ーー町おこしの話のように、個々の話をうまく見せてあげることで、その価値が再確認できるようになる。大山さんのスペースウォーカーでの取り組みはそれに近い感覚がありますね。

アートディレクターって、すごくいい仕事だと思います。イメージを作ることで人を説得できるし夢を与えられる。もっと言えば表現をすることで社会と接点をいい方向に導ける。人間は一人でできることは限られていますが、優秀な人や明るい人を巻き込んだり、巻き込まれたりしていることで道が開けるのではないかと思うんです。まわりの素敵な人たちと楽しくものつくりを続けていきたいです。

PROFILE

大山よしたか

1981年名古屋生まれ、ロンドン留学後カメラマン、雑誌のデザイナーを経てアートディレクターに就任。 企業のブランディング、商品開発、町おこしなどを多数経歴任。 最近では人気調理器具「バーミキュラ」 のブランディングも担当。 2017年12月有人宇宙飛行を目指す「株式会社SPACE WALKER」を設立。

株式会社SPACE WALKER Webサイト:https://space-walker.co.jp/


    文・薮田朋子 編集・上野なつみ

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